貧しい旗本の家に生まれた覇王丸は、幼少から剣術に興味を持って育った。
若いころから腕を磨くため、頻繁に修行に出かけていた彼は、剣の道を究めるため家と決別、故郷を出奔するに至る。覇王丸が23歳の頃であった。
その後、花諷院和狆に師事し、さらに剣の腕を磨く。
その教えを実践するのみならず、覇王丸は数多の死合を重ねながら技に自分なりの工夫を加えていく。河豚毒を自在に操る腕力を以てつむじ風を起こし、黒鉄をも切り裂くその豪快な剣技は今や和狆の剣とは言えず、彼はいつしか「我流」を名乗るようになった。
その剛腕から繰り出される斬撃の威力は折り紙つきで、怒りを帯びた時の凄まじさは人外魔性の者すら容易く斬り伏せ、山すら切り裂いたという法螺話のような噂も立つ程である。覇王丸自身は頭に血が昇りやすいことを嫌っているものの、その気性が何かと荒事に巻き込まれやすい彼を死線から幾度も救ってきたのは間違いない。