悠久たる歴史の流れの中で、邪剣が経験してきたあらゆる戦闘。古今東西の戦士たちの肉体、技術、闘志……それらの記憶の結晶こそがソウルエッジの戦闘法とも言えるだろう。
邪剣は持ち主に合わせて姿を変える。その際、支配下に置いた者の戦闘術をそのまま用いる傾向があるのは確かである。邪剣の真意は人智のおよぶところではないが、傀儡となった戦士の戦闘術を新たに記憶に刻み込み、みずからの力として取り込むため、と考えるのが自然だろうか。
ソウルエッジの邪悪なる想念が具現化した時、燃えさかる炎の中からいかなる絶望が覗くのか。それを知り得るのは邪剣の傀儡を打ち倒し、インフェルノと対峙した者だけである。