己の剣法に「天賦古砕流」の名を冠した御剣。
ただ御剣の場合、弟子を集め技を広く伝えたいと望んだ多くの門派の開祖とは異なり、あくまで傭兵稼業を営む上で自身の腕前を売り込むための箔付け、と考えていた節がある。そもそも御剣の技の根本は激しい実戦の中で自得するに至った戦剣法であり、体系化された技法ではないのだ。
だが打倒・種子島に燃える御剣が、鉄砲を超える最強の武器を探すと共に、己の剣術にも工夫を凝らしたのは確かだ。飛び道具を相手取り遠間での立ち合いを想定した足運び、瞬時の抜刀から抜き打ちの一撃の技などにその努力の跡が見られる。
他流の剣法者との立ち合いを多く行ったのもこの頃らしい。時まさに戦国の世、果たし合いを挑まれれば拒む者は少なく、決死の戦いを通して倒した相手の技をも御剣は学び、己の血肉としていった。